青森で仕事をしているともうすぐ昼食の時間帯に。ということで、旨いランチを出す店に連れて行ってもらおうとしたところで…
仕事の担当の方:「そういえば、青森やきそばを食べたことはありますか?」
私:「…そういえば、ございません。」
青森の焼きそばと言えば、以前に食した黒石やきそばが真っ先に思い浮かぶところだが、どうやら、それとは別物の様子。ということで、「青森焼きそば界の両横綱」だという2軒を案内いただくことに。
ちなみに、青森市の焼きそばなので青森焼きそば。真っ当なネーミングなのだが、県名と市名が同じだと、県スケールの味だと思ってしまう。
富士宮、横手、太田、黒石…どこであっても、自分にとっては焼きそば店というジャンルの飲食店が、地域に根付いていることがすごくうらやましい。神奈川人の自分にとっても、学校帰りの学生さんが立ち寄るような、焼きそばやたこ焼きを売るお店があったりはしたものの、どちらかというと焼きそば屋というよりは、「テイクアウトできて手ごろな価格でお腹が一杯になるお店」という趣き。
なので、ご当地グルメとしてあるべき、地域で共通した「その街らしさ」というものはなく、個店のおばちゃんの笑顔が疲れを癒したり、自宅に夕飯があるのにそこに立ち寄ってお腹を満たすという、ちょっとした罪悪感に包まれつつ食べること、つまり食べる行為とその環境に対して喜びを感じていた。
でも、焼きそばが根付いている地域の場合には、焼きそば自体に地域性がある。
この絶対的な違いを口にすることで地域性を感じたいがために、焼きそばを食べ歩くことに身体中が震えて興奮してしまうぐらいの喜びが伴うのである。
…という話を2店分食べ歩く言い訳にして、最初に訪れたのが、西の横綱こと「鈴木焼きそば」。実は青森市内で一番古い焼きそばのお店とのこと。
店内に入ると、そこから3歩進むとカウンターに到達するぐらい、小さな店舗スペース。タイミングを一歩間違うと満席確実なのだが、幸い入口横のテーブルが空いていたので、腰を下ろしてメニューを見ると…
いやぁ…潔い。
もともと、青森焼きそばのルーツは、昭和30年代の屋台街。堤川という市内を流れる川沿いにあった屋台街では、焼きそばを売る屋台が数多く立ち並び、戦後という底から誰もが一生懸命に生きていた時代の胃袋を満たしていた。
それから時は流れ、今では屋台街の姿は見えなくなったものの、その時代の味を伝えるお店は代々受け継がれている。だからこそ、シンプル。そう、必然性のあるシンプル。
そんな潔いメニューから中盛りを注文。300円という値段も破格の一言。青森焼きそばについて色々なお話を伺いながら、厨房をのぞいてみると、おばちゃんのピンと立った背中が上下すると同時に、中華鍋と大量の焼きそばが舞う。
元々、屋台街では鉄板の上で麺を返しつつ焼かれていたものの、焼き手が男性から女性に変わると、湾曲を上手に活用してそばに熱を加えてフライ返しで返しつつ、麺にソースを吸わせるために中華鍋へと変化した。
そんな、熱い気持ちが一杯詰まった動きによって、熱々の焼きそばが出来上がった。
青森焼きそばの特長の一つが、「ソース焼きそば」であること。お店ごとにブレンドされたソースによって、我が店の味が出来上がっている。そして、二つ目が麺。青森焼きそばでは、蒸し麺ではなく茹で麺を使っている。
熱した中華鍋に固めに茹でられた麺を投入し、野菜を投入して、ソースを投入すると、固茹でされた麺の茹でしろの部分が、ソースや野菜の水分をしっかりと吸い込み、表面に絡むだけではなく、麺の中心までしっかり味がついた味になるのだ。
酸味をまとった独自ブレンドのソースを存分に吸い取った麺なのに、ボタっとした重たさがなく、ズルズルと唇から舌を経由して、胃袋に入るまでの流れが軽快に進む。
勢いよく吸い込んでクミクミと噛みこむ感触が楽しく、キャベツのシャキシャキした食感や紅ショウガの刺激もあって、あっという間に完食。単純な組み合わせなのに、こんなに旨いというのが信じられない。
やっぱり、歴史はウソをつかない。そんなことを教えてくれた一軒目の味だった。お店を出て、堤川を渡ってから2分ほど歩くと二軒目のお店が見えた。
堤川を渡り、降り積もった雪が氷と化すように踏みしめられた道を歩くこと数分。交差点の先に見えたのは青森やきそば界のもう一店の横綱、後藤焼きそば店。
暖簾に描かれた「太」の字が、横綱の味との出会いに対する期待をこれでもかと煽ってくれる。写真を撮り、店内に入ろうとしたところ、ガラス戸越しに見えたのは、ありったけの席を使っての賑わい、そして焼きそばを啜る姿。音が聞こえなくても、お店の雰囲気は一目で判る。
ようやく空席ができて店内に入ると、ガラス越しに見ていた眺めが目の前に広がる。
目に入ったのは鈴木焼きそばと同じく、潔いラインナップのメニュー。
ただし、このお店には少しアレンジがほどこされた名物焼きそばがあるということで、写真の下にちらっと見切れているその一品を注文。奥の厨房では、全身を使い細い腕をしならせるかのように、焼きそばを作り上げる姿が。
焼きそばが出来上がるまでにも、お客さんは次から次へと空席がないかどうか、ガラス戸越しにチラっと視線を投げかける。そして、それを受け止める側は、マンガ雑誌やスポーツ新聞を読みながら、焼きそばができあがるのを待つ。
そんな不思議な緊張感が流れる中で待つこと約10分、ようやく注文した焼きそばの出来上がり。
このお店の焼きそばのもう一つの名物とは、卵焼きそば。
食欲を喚起する色合いに焼かれた薄焼きの卵が、たっぷりの焼きそばの上に覆いかぶさり、ソースや野菜のエキスをふんだんに吸収した湯気を封じ込めつつ、自らの味としても取り込む。
日本蕎麦で言うところの、角が立っているかのような口当たり、およそ茹で麺とは思えないようなクミクミとした食感。そして、ソースの酸味がマイルドに感じるのは、湯気の蓋となっている卵の効果か。
そばを食べて卵を食べる。この繰り返しもあってか、全体に味付けがマイルドに感じられるので、2店目でもまったく問題なくズルズルクミクミと完食。紅ショウガの刺激も、懐が深い味を一層際立ててくれる。
両方のお店で並を注文したものの、かなりの麺の量があるので、どちらのお店であっても「食べきらなければ」という、量を片付けるといった雰囲気になってもおかしくなかったのだが、中毒性をもたらすかのような香り、ルックス、そして味によって、最後まで美味しく食べることができたというのが、一番のすごいところ。
そう、身近なところにほど、歴史に裏づけされた深い味は眠っている。