餃子と一緒に過ごしたい夜がある。
呼吸を忘れて焼きたてアツアツを頬張って、ビールの苦味で口の脂を拭う。もちろん、餃子自体の美味しさもあるのですが、一心不乱になっている瞬間が楽しい。
全身が餃子を欲したそんな夜、江古田の駅から少し離れたこのお店に向かってました。以前から「餃子の羽根が尋常じゃなく大きい」という話を聞いていて、それを見たいがため、というのもありましたが。
カウンター席に座って、メニューの端から端まで目を通せば、もちろん最初に目に入るのは餃子の文字。焼か水かの悩みがありつつも、気持ちは前者です。
そこにチャーハンを合わせてみました。
チャーシューに卵にネギ。至って単純、とにかくシンプル。
ごちゃつくことなく、旨さの一発回答。レンゲを進めつつ、奥のテーブル席で注文した料理が作られる、
中華鍋のアクションを見ていると、メニューを見直して、あれだろうこれだろうと考える。次への宿題がいつの間にか溜まっていきます。
その間に餃子が鍋に置かれ、蒸し焼きしたところに、粉が溶かれた羽根の元が餃子鍋に注がれ、しばし待ったらできあがり。
問題は盛り付け。間違いなくお皿からはみ出だすサイズ、さて、どのぐらいはみ出るか…って、そんな角度で盛るんですか…?
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。」
江戸時代に生まれた美の例えことわざですが、淡く焼き色をまとったこの一皿は、「立てば餃子座れば餃子歩く姿は焼餃子。」そんな感じのルックスです。
箸で皮だけを食べれば、パリパリとした食感は、単品のおつまみ気分。本体を頬張れば、白菜と豚肉とニラのシンプルな餡のエキスが、じゅわっと溢れ、思いのほかモッチリした皮と口の中で馴染めば、数十秒前の食感とは真逆な料理に変化します。
一人前5個なのですが、十二分にお腹いっぱいになるのは、皮のせいかはたまたチャーハンのせいか。街場の中華屋さんには、一心不乱になる要素がギッシリ詰まってます。