仙台駅周辺は、いくつもの商店街がアーケードによって隣接しており、そんな共有物が生み出す一体感や迷路のように大きな規模によって、まるで街の歴史に参加しているかのような気分で、快適な街歩きが楽しめる。一方、そんなアーケード街から横道に入ると、一昔前のたたずまいがそのまま残る横丁も残っている。
自分は、人為的にレトロを生み出した商業エリアが持つ、「いかにも狙いました」感が苦手なので、単純に街を歩く分にはあまり好まない。その好みの分岐点は何かというと、その横丁に食べに行ったり買いに行ったりという、住民関与度が高いか低いかという部分。これは、足を踏み入れるとなんとなく感じるもので、日常の積み重なりでしか生まれないもの。
だから、直感的に好きか嫌いかという印象が生まれ、二歩三歩と踏み入れるか、そのまま通り過ぎるかの二択になる。
そんな自分が仙台で目にしたのは、アーケード街に面したところに、少し目立つ入口を構える「壱弐参(いろは)横丁」というエリア。ここは、仙台空襲の焼跡にゴザを敷いて商売を始めた露店が集積して市場となり、今の形へと変化した空間で、二歩三歩と足を踏み入れると、そこには不思議な時間が流れている。
横丁の中は、古くから営業している老舗のお店や、新進気鋭の若い経営者の方が、自分の目線で選んだ商品に思いを乗せて販売するお店など、衣・食・楽といった趣で、色々なお店が立ち並んでいる。
腹6分の状態じゃなかったら、絶対に飛び込みそうな食堂に後ろ髪をひかれたり、
京都のイノダコーヒーの文字を見つけて、他のエリア文化が上手くハマっている状況にほほ笑んだり、
ポップな色合いでワインの文字が記されている看板に、気取らない楽しみ方を想像したり。
また、お手洗いの案内も妙にデザインしているのが好感。ペインティングは街づくりのツールとして、どうしても賛否両論に分かれるテーマではあるが、上手く活用することで「新しい文化を許容する街」というイメージが生まれ、若い世代のヒトもエネルギーもしっかりと集まるものだと思う。
そう考えると、青森の街づくりには課題が多い。街の文化を残すための新陳代謝は、地元に残る古き良き時代の蓄積と、新しき良き時代に生まれたアイデアとの融合とリレーでしか行われないのだから。